(since 1949)



上田第5団のチーフ色:上田第5団のCOLOURは

」の持つイメージは 誠実、平静、知性、etc.


現在活動している人員(2001年4月1日登録人員)

     指導者スカウト 計 
団 委 員  14     14
ビーバー    2   8 10
カ ブ    11  36 47
ボーイ    11  32 43
ベンチャー   4  15 19
ローバー       15 15
 合 計   42 106148

そして、多くのスカウト保護者の方々の陰の努力にも支えられている団です。

我が団をチェスにたとえれば、スカウトたちはキングです。
キングを守り、そのキングが成長する願いを持って活動している指導者は、
ルーク、ビショップ、ナイト、ポーンと役割はいろいろありますが、
要のクイーン的存在となる上田第5団の団委員長を紹介いたします。

<上田第5団団委員長: 丸山 正一>

(団委員長歴:1985年〜現在)
団委員長の写真

お便り、ご意見は: marusho@ueda.ne.jp


私のボーイスカウト活動との関わり

1956年 第1回日本ジャンボリー見学。初めてボーイスカウトとの出会い。
1974年 長男のカブ入隊を機にデンダッドとしてお手伝い。(登録48名)
1977年 団委員として登録。財政、事務局を担当。
1985年 団委員長に就任。(登録140名)
1986年 長野県連盟理事・国際委員長に就任。
1989年 県連40周年にあわせ、団の創立40周年記念式典を挙行。
       (日連渡辺総長ご出席)  スカウトによる市内パレード。
1990年 第10回日本ジャンボリーへ県連派遣団として参加。
1992年 上田第13団を分封発団。(登録:5団165名、13団107名)
1996年 県連50周年記念海外派遣事業で、派遣団長として40名のスカウトと
       共にアメリカサマーキャンプに参加。
1998年 冬季オリンピックの国旗掲揚奉仕に参加。
1999年 県連副理事長に就任。


上田第5団の概要



「創立50周年を迎えるにあたり、情報化時代の象徴でもある
 ホームページの開設を行い、できるだけ多くの方々に
 ボーイスカウト運動や当団の活動をご理解いただければ幸いです。
 また、現在上田市内にある第5団、13団、14団の益々の発展と
 3年後に完全実施される学校週5日制をふまえ、スカウト活動は
 子供たちの幸福な成長に大きく貢献できることを自負してやみません。」
 尚、上田第5団の歴史を述べるにあたり、上田のボーイスカウトの変遷
 にもいささか触れたいと思います。
 <上田第5団の例年奉仕活動>
   ・緑の募金(4月:CS隊)
   ・真田まつりパレード先導(4月:BS隊、VS隊)
   ・ユニセフ街頭募金(CS隊)
   ・薬物乱用防止街頭キャンペーン「ダメ・ゼッタイ運動」(6月:BS隊、VS隊)
   ・スカウトの日清掃奉仕(9月:BVS隊、CS隊、BS隊、VS隊、RS隊)


<上田第5団 50年のあゆみ(主な項目)>

1949年: 団の登録準備進む 戦前の少年団に続き、この年に上田で1隊から6隊まで結成された
1950年: 少年隊初期登録(7月20日)・第1回長野県スカウト大会 (於:上田市)参加
1951年: 9月上田市でボーイスカウト、ガールスカウト800名の連合による 第2回長野県スカウト大会参加
1954年: 東海道移動キャンプ(4泊5日)実施。ネッカチーフが同色の横浜第1隊との交流始まる
1955年: 上田第6隊と合併し、新生第5隊が発足した
1956年: 第1回日本ジャンボリー(於:軽井沢)参加
「日暮れの山波に囲まれた高原の段丘に、世界14か国のボーイスカウトの 色とりどりな
国旗が夕空の大浅間を正面に、色彩映画の中世騎士陣でも見るようにきれいだった」

(週間朝日・新平家物語より要約:吉川英治氏)
横浜第1隊とともに同じ隊カラーの広島第1隊、兵庫県の竜野第5隊を見つけだし兄弟団の
誓いを交わした
1957年: 第3回県大会(於:松本市)参加
県内指導者研修会が県内で初めて開催された(於:上田市北常田公会堂)
1958年: 呼称が隊から団に改まる
1959年: 第2回日本ジャンボリー(於:滋賀県あいば野)参加
第4回県大会(於:小諸市)参加
この年の夏菅平にて隊キャンプのとき、手旗訓練の真っ最中に皇太子さま(現天皇陛下)
がお見えになられた。 「訓練は楽しいか」「食事はおいしいか」とスカウトに直接
尋ねられた。 上田第5団にとって忘れられぬ歴史の一頁となった
1960年: 県連盟10周年記念式典(於:長野市)
1961年: 第5回県大会(於:長野市城山公園)参加
1963年: 第6回県大会(於:軽井沢)参加
1964年: 1961年から1963年まで何らかの理由でなされなかった登録が復活した
東京オリンピック国旗掲揚奉仕(於:軽井沢 馬術競技)参加19名
(実は、編集者もスカウトとして奉仕に参加いたしました)
1965年: 第7回県大会(於:佐久市)参加・地区組織(東信地区)が確立した
当時のスカウトたちはロープを使って結索方法ばかりでなくカウボーイの投げ縄をまねた
ロープまわしにうち興じたり、月見俳句会などを催したり多彩な活動を行っていた
(現V.S.隊長出田:要約)
1966年: 第4回日本ジャンボリー(於:岡山県 日本原)参加5名、参加者30,000人
「長野から岡山まで当時の鈍行列車で移動した。 一週間も風呂に入らず真っ黒けで帰宅した。
当時全国大会とは言え、食料配給のシステムは無く、各隊の食料調達は自前で行っていた。
長野県連隊のリーダーたちがマムシをとらえて蛇の蒲焼きを喰らったと記憶している」(編集者)
1967年: 第8回長野県キャンポリー(8NC)(於:岡谷市)参加
「スカウト運動における野営は、大自然の中において人格、健康、技能、奉仕の4本柱を
育む訓育である。 (1)綿密にたてられた準備計画、(2)資質の高い指導者の適材配置、
(3)地元の深い理解と協力、(4)スカウトの努力と平素の訓育の再現、これら諸点の結集 が
悪条件を克服し成功に導くものであると考えられます。」

(田中 幸男:当時上田第5団隊長、県コミッショナーが8NCに寄せての言葉)
1968年: 県連盟20周年記念式典(於:長野市)
1969年: 日本海大会(於:新潟市 五十嵐浜)参加
1970年: 第5回日本ジャンボリー(於:静岡県 朝霧高原)参加
カブスカウト隊初期登録(4月1日)
1971年: 第13回世界ジャンボリー(於:静岡県 朝霧高原)参加
この時の経験は大雨だった。 それもとびきりの。 隊サイト、そして少し離れた所に張った
我々S.S.隊のテントとの間の広場はまるで池のようになり行き来をするには腰まで水に
つからねばならなかった。 しかし、「これは普段体験できないことが体験できる。 雨が降れば
雨を楽しみ、晴れればそれを楽しむ。」ボーイスカウトの野外活動の基本を経験した大会であった。
(現V.S.隊長出田:要約)
1972年: 年次全国総会(於:長野市)・日本連盟50周年記念式典
1974年: 第6回日本ジャンボリー(於:北海道 千歳原)参加8名
先発隊は雑木林の開墾を行いその中にあった漆の木を焚いてかぶれて動けなくなった人も多かった
シニア班初期登録
1975年: 長野県若人キャンプのつどい(於:霧ケ峰)参加
東信地区キャンポリー(於:立科町)参加
当時の子供たちは、優秀というよりわんぱく者が多くずいぶんてこずった。 そのころ田中幸男氏は
不自由な身体の支えとしていた一本の杖を巧みに使い、いつも笑顔を絶やさず子供たちの心を
まことに上手に把握し、一緒にはねたり静かにさせたりまるでその杖が魔法の杖のように思えた。
その田中幸男氏の指導者に対する教訓で「子供は、いくら立派な指導者でも、その人以上の
沢山の良い素養を秘めているので決して画一的な視野で見極めることなく、一つでも 多くの
特性を発見し伸長させるよう自分自身常に努力せねばならない。 それがスカウトの 指導者
としての使命だ。」
との言葉を身にしみて感ずる。(当時CS隊長山田周二:要約)
1976年: 第9回長野県キャンポリー(9NC)(於:富士見町)参加
SS隊プロジェクト・・・千曲川源流から上田橋までゴムボートにて川下り
1978年: 第7回日本ジャンボリー(静岡県 御殿場市)参加
ボーイスカウトなら誰でもあこがれる4年に一度のジャンボリー、上田にシニア隊などなく
隊付としてのシニア活動をしていた私にとってこのときのジャンボリーは大町1団の横川SS隊長
をはじめ指導者の方々が「ひとりの大人」として接してくださり、「自分で考え、自分で判断し
行動しなければならない」と気づきその後のスカウティングに大きな影響を受けるものとなった
(元シニア隊副長斉藤光一:要約)
第33回国民体育大会(やまびこ国体)奉仕参加
1979年: 県連盟30周年記念式典(於:松本市)
1980年: 第4回北信越大会(於:富山県)参加
1981年: 育成会、団ともに組織の確立を計る・カブ隊を2隊に分ける・スカウト備品庫の設置ができる
(当時事務局長 丸山正一)
年初登録人員数100名を超える(104名)
1982年: 世界スカウト年(ボーイスカウト運動75周年)
日本連盟創立60周年記念式典
第8回日本ジャンボリー(於:宮城県 白石市)参加
菅平にて雪中訓練
カブ2隊初期登録(4月1日)
1983年: 第1回県連盟カブラリー(於:穂高町)参加
ボーイスカウトからは「菊」章挑戦者、カブスカウトでは精皆勤の者が多くなる等の成果がみえる
(当時事務局長 丸山正一)
1984年: 第10回長野県キャンポリー(10NC)(於:大町市)参加
第 1回日本ベンチャー(於:宮城県 白石市)参加
岡 弘幸君が「菊」章取得、後に続くスカウトに良き先鞭をつけてくれました
1985年: 登録人員140名と県下最大の大規模団に発展
1986年: 第9回日本ジャンボリー(於:宮城県 白石市)参加15名
SS2名サイクリングにて白石市に行く
「台風10号の影響で暴風雨、500ミリ近い雨のためジャンボリー会場は泥沼状態であった。
会場の橋は崩壊、川も氾濫、通信も不能、列車及び道路網は寸断されるといった最悪の気象条件で
あったがあの自然の猛威はまたとない実地訓練の場、スカウトにとって強い思い出となった。」
(丸山団委員長、小幡副団委員長の手記より)
ボーイ2隊初期登録(4月1日)・シニア隊初期登録(4月1日)・ローバー班初期登録
CS隊2個隊、BS隊2個隊、SS隊1個隊、RS班1個班 登録人員169名となる
スカウト6名「菊」章取得
1987年: 第2回県連盟カブラリー(於:南箕輪村 大芝高原)参加
8月横須賀第4団との交流キャンプ(於:横須賀市)海と山のスカウトの交歓の成果を上げた
10月大星神社境内にスカウトハウス完成
「信濃のみちを知ろう」(中山道:碓氷峠〜木曽路)ハイキングをスタート
「ボーイスカウト展」開催・・・活動紹介パネル、模擬キャンプサイト、ロープワーク等実施
1988年: 第11回長野県キャンポリー(11NC)(於:戸隠高原)参加
第 2回日本ベンチャー(全国SS大会)(於:静岡県朝霧高原)参加
1989年: 上田第5団発団40周年
(実施行事)40周年記念誌の発行・横須賀第4団との交流キャンプ・記念式典の挙行
県連盟40周年記念式典(於:上田市)
ローバー隊初期登録(4月1日)
年度初期登録人員200名を超える(6個隊・・・CS2、BS2、SS1、RS1 210名)
丸山 健治君、花岡 正典君「隼」章取得・スカウト7名「菊」章取得
1990年: 第10回日本ジャンボリー(於:妙高高原)参加26名
SS隊雪中訓練キャンプ(5泊6日)を行う
1991年: 第17回世界ジャンボリー(於:韓国)参加6名
イギリスのボーイスカウト20名のホームステイ受け入れ
中塚 亮平君、関 和彦君「隼」章取得・スカウト2名「菊」章取得
1992年: 第12回長野県キャンポリー(12NC)(於:下伊那群)参加
第 3回日本ベンチャー(於:滋賀県)参加4名
CS1隊が鎌倉市を訪問、鎌倉第5団との交流会を行う
上田第5団より第13団が分封発団(登録人員数93名)
1993年: 第13回アメリカジャンボリー(於:アメリカ)参加1名(個人参加)
東信地区BS合同キャンプ行われる
小林 圭太君、馬場 伸太郎君「隼」章取得・スカウト1名「菊」章取得
1994年: 第11回日本ジャンボリー(於:大分県久住高原)参加32名
東信地区(11NJ不参加スカウト)合同キャンプ・東信地区カブスカウト合同隊集会
上田市内のBS、GS合同の「スカウトまつり」(参加470名)
オーストラリアからの交換留学スカウト受け入れ
ビーバースカウト隊発隊(9月15日)
1995年: 第18回世界ジャンボリー(於:オランダ)参加8名
第 7回日本アグーナリー(於:妙高高原)奉仕参加6名
阪神淡路震災救援奉仕 指導者、RSが自主的に参加
1996年: 県連盟50周年記念海外派遣事業(アメリカ アラメダ連盟合同キャンプ)参加9名
第4回日本ベンチャー(於:島根県 三瓶山)参加2名
1997年: 日本連盟75周年記念「自転車全国一周リレー」上田公園にて引き継ぐ
第13回長野県キャンポリー(13NC)(於:白馬村)参加
40Kmハイク(長野駅〜上田公園櫓門)、カブスカウトは20Kmハイクを実施
1998年: 冬季オリンピック国旗掲揚奉仕(於:長野市、白馬、軽井沢)参加63名
「ボーイスカウトがオリンピックの各国国旗掲揚を行うことは世界的にみても日本だけらしい
まして、同じ地域で夏期、冬季のオリンピックが開催されることも希なこととのこと
長野県のスカウトは34年前の東京オリンピックとともに世代を超えて奉仕参加できたことに
大きな誇りを持てると思う。」(編集者)
インターネットを通じて世界各国からの反響も大変大きかった
矢島 浩一君が国際ユースキャンプに参加 外国の若者(スカウトも何名かいた)と交流を深めた
東信地区カブ・ビーバーラリー(於:上田市民の森)
第12回日本ジャンボリー(於:秋田県 森吉山麓高原)参加23名
「シニア隊」が「ベンチャー隊」になり、スカウトの進級方式が変更された
1999年: <上田第5団創立50周年記念事業>
   ・姉妹都市 鎌倉市への団合同旅行(8月)
   ・50周年記念誌の発行(10月)
   ・50周年記念式典の挙行(11月)
   ・団のホームページの開設(7月)
   ・教育関係者へのボーイスカウト運動の理解促進運動
2000年:第5回日本ベンチャー (於:大分県久住高原)参加3名
アワード、個人プログラムの達成に向けて活動基地を鹿児島県内之浦に(亀、ロケットと戯る)
2001年: 第14回長野県キャンポリー(14NC)(於:エコーバレー)参加26名
ボーイ隊 島田 周君「菊章」を取得:認証式はキャンポリー会場で



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